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老健施設 ケア維持 集団避難のモデルに
東京新聞記事より
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011042490065810.html

 東日本大震災で被災し、集団避難を余儀なくされた福島県いわき市の介護老人保健施設「小名浜ときわ苑」は、避難先の千葉県の施設でも震災前の介護サービスを維持した。背景には、入所者と介護する側の職員がまとまって同じ施設に移動した点と、本来ならサービス提供場所の自治体に請求すべき介護保険報酬を、いわき市に請求することが認められた点にある。関係者らは「老健施設の避難モデルとなり得る」と話す。 (星野恵一)

 「入所者を良く知った職員が従来通りのケアができた」。福島第一原発から約四十五キロの場所にある小名浜ときわ苑の鯨岡栄一郎施設長(39)が集団避難を振り返った。同苑に入所中の三浦宏寿さん(83)も「安心して過ごせた」と話す。

 高齢者約百四十人が入所する同苑は、三月十一日の大震災で断水し、トイレも使えなくなった。外部委託の給食が止まり食事は一日二回に。医療面で緊急性の高い人の施設でないため、市の給水車も来なかった。入所者の健康状態は悪化した。

 放射能への不安もあり避難先を探したが行政は原発に近い施設を優先。「避難指示区域でない苑は取り残された。家族と避難する職員もいて入所者をケアする環境ではなくなっていった」と鯨岡氏。

 避難先探しに尽力したのが鴨川市の亀田総合病院だった。ときわ苑の系列病院の透析患者が亀田総合病院に避難したのがきっかけだ。被災から十日後、同苑の入所者のうち百十人と職員ら計約二百人が鴨川市内のかんぽの宿に移った。二十日間の避難生活を経て、インフラが復旧し、施設が利用可能になった同苑に戻った。

 亀田総合病院は介護、医療両面で同苑を支援。同院の小松秀樹副院長(61)は「行政を通じていたらすぐには避難は決まらなかっただろう。避難側、受け入れ側の決断が大切」と話す。その上で、「苑と入所者のコミュニティーを維持できた。集団避難のモデルともなり得る」と意義づけた。

 集団避難が成功したカギの一つは、小名浜ときわ苑が、避難後の入所者に対する介護サービスの報酬を、いわき市に請求することを市側に認めさせた点だ。「それなしでは今回の集団避難は成り立たなかった」と鯨岡氏は話す。

 介護保険のサービスに対する負担はおおむね国が25%、県と市が各12・5%、残りが被保険者の保険料。保険料の設定など介護保険計画は自治体が要介護認定者の数やサービスの状況などを踏まえ三年に一度見直している。

 鴨川市で介護サービスを受けているのは千六百人余り(一月現在)。介護サービスを受ける人が一挙に百十人も増えれば給付も増え千葉県や同市は介護保険計画の見直しを迫られるところだった。

 鯨岡氏は「受け入れ側自治体がリスクを負うことなく避難ができた」と振り返る。亀田総合病院の小松氏は「市内でも介護人材は不足していた。報酬請求をいわき市が認めたことで苑の職員が鴨川市で介護事業をできた。それも避難成功の要因だった」と話した。

(東京新聞)

| 報道関係資料 | 07:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
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