Twitter 千夏 @cocoro0608
3月11日・・・国家試験が終わり1人で東京に上京しました。希望に満ちて1人での生活に明日から出発だとワクワクしていた瞬間・・・
今まで体験した事がない揺れ・・・地震だ!
自転車に乗っていてコケてしまい軽い怪我のせいかパニクってしまった自分が今思い出せば冷静に動く事の大事さを教えられました。
直ぐに側にあったコンビニでガーゼ、包帯、ペットボトル飲料、持てるだけ購入して止血。
ツイッターと言う便利な通信網がその時は間違った情報などで何が正しいか判断出来なかった。
そんな時に私のツイードを読んだ偶然にもドイツから帰国していた先生が反応してくれ駆けつけてくれました。 本当に嬉しかった!
家族が泊まっているホテルまで歩いて一緒に行き御世話になる時に
その先生は、緊急依頼を受けて自分の病院でもないのに数人の看護師を連れ被災地に行かれた。
その行動力が 今の私の始まりだったんだと思います。
先生の知ってる病院のスタッフと連絡を取り持てるだけの医薬品の準備と医療に必要なモノを手配して 3月14日には南三陸に入った。
移動ルートはボランティア参加された事のある方はご存知だと思います。交代の運転・・・景色が変わり出し言葉が無くなりだした。
空爆?何?ここから先は日本ではなかった。まさに・・・地獄です。
大きな避難所には直ぐに支援が来る、他にまだ逃げてる人達が居るんだと探し回り先に行かれていた先生と看護師と合流。
しかし、次の瞬間・・・隣の建物の中を覗いたら横たわる遺体が置いてある。まだ、身内が分からない遺体だ・・・
濡れて汚れてる。 寒い中、ずぶ寝れのままでガタガタと震えながら宙をみてるおばあちゃん、お母さんと泣き叫ぶ子供、みんな何が起きたのか理解できていなかった。 その時の状態はその場に居なければ感じられないのだと思います。どんなに伝えてもその場に居ないとね。
緊張した筋肉は簡単には解れません。病気とかでは無く恐怖で筋肉がカチカチになりガクガクと震えています。
背中を摩りながら寒さか何だか分からない震えを少しでも取ってあげたかった・・・
落着いて座る事が出来なくて杖さえ流されて歩けない電気も水道さえ、ましてや食べ物もない。津波に飲み込まれた人達はずぶ濡れのまま。とにかく怪我人の手当てをしながら自分でも涙と作り笑顔をひきつりながら作ってた。消毒してる横で3〜4歳の子供が親を探してる泣き叫びながら・・・親なら気が付くけど・・・親は現れなかった。
車から飴玉を袋ごと持って来てお口に入れると・・・泣き止んでくれた。 どうする・・・笑顔が無い。大人でさえ怖いのに子供はどんな気持ちなのでしょう〜余震が何度も何度も襲ってくる!
夜になると光が無い携帯も電池を気にして1人1人が自粛しだした。
その脇では、亡くなられた遺体が運び入れられる。
汚れたままで眠ってるみたいです。
タオルで顔などの汚れを落として特徴を紙に記入していく・・・
知らない内に涙でぐしゃぐしゃになりながらも1体1体汚れを落とす。
3〜4日毎日遺体安置所に若いお母さんが見に来るので尋ねると
3ヶ月の子供を流されたと、毎日探しに来てる。マイッタ・・・
最悪にも小さなタオルに包まれた遺体・・・毎日来ていたお母さんの子供でした。 眠っているみたいに口が半分開いてましたが口の中にゴミが入っている・・・これが津波に連れ去られた結果なんです。
泣き叫ぶ声が耳から離れません。2日後お母さんが挨拶に来られました胸に抱かれた入れ物「骨ツボ」ですが、病院で要らなくなったビンです。 御世話になりましたとご挨拶に来ていただけ 私や、先生、看護師の皆でその遺骨を黙って抱きしめました。何故?何故?
腕が無くなってる遺体、モノの押し潰された遺体、肉を削がれたような遺体・・・・それでも、見つけられず番号で埋葬されていくんです。
夜は杖が無い方の身体や歩行を診て 資格は無かったが知識は持っている。 こんな時に処方箋とかくそ喰らえだ!
目の前に身体の不調を訴えているのに・・・しかし、喜んで頂けた。
そして、私の背中を支えて自信を持たせてくれた先生「君は出来るんだよ。大丈夫だ!」この一言は大きな自信となった。
寝る暇なんて無い、お風呂なんて無い。寝る暇があったら子供の笑顔を取り戻す事を考えた。
入り口に置いてあるヘルメット5個にマジックで落書き!戦隊者のヘルメット完成! ダンボールに紙芝居を描いた!先生やスタッフには大好評でしたが・・・翌日のお昼に紙芝居をやりましたが大盛況でした! こんな事でも大事なんだと思います。
ベッドに寝てる人だけが患者ではないんだと。
心のケアも大事なんだと・・・
療法士って何だろうと 今回は考えました。
勿論、病院の中、施設、通所、介護・・色々とあります。
しかし、誰が今回の様な大震災を考えていたでしょう?
マニュアルなんて何にもならない、医師の処方とか待っていたら手遅れなんだと。 私が今回動いた事は賛否あると思います。
でも、じゃあ誰が見てくれたのか、誰が遺体の確認作業をしたのか、誰が恐怖で震える身体の緊張を解したのか、歩行、腰痛、靴が無い痛み・・・理学療法の事を話しても知らない・・・まだまだです。
一度帰って国家試験の結果を確認をして合格!ヤッパリ嬉しい!!
東京の病院で働く事で臨床の大切さを実感しながらも この職業を
選んで良かったと思ってる。
しかし、一向に進まない復興支援。
何が足りないの?
政治への不満もだけど・・・協会への不満が溢れる寸前。
分かっているツモリだけど・・・情報を流すのが遅い!
流される情報は全てが知っているモノばかりで 新しいものが無く
いつ応援に来てくれるのか?何故動かないの?
こんな事を1人で感じながら活動再開!
勤務先にも幸い理解を得て2週間の期間の活動!
九州のある団体からの支援を貰い車椅子、リハ靴(マジック方式)杖、歩行器、オムツ、インソール材料、市販の薬、栄養補強品、その他)レンタルのタウンエースに積み込み(歩行器は運送屋)飛ばしました。車内には大好きな「湘南乃風・MEGARYU・嵐・」等を聴きながら飛ばしました。
何でそこまでするの? って思われるでしょうね・・・
そんな方は、自分の目で見て下さい。
今は、片付いた様でも当時の状況を見てあの恐怖に震える人達を見れば 医療に携わる医療従事者なら知らない振りなんて出来ません。
口だけやります、やりますって事は簡単な事。
行動しなければ同じ!
行動にも色んな事がある、募金、現地ボランティア、物資支援、なんでも良いんです。 無関心・・・これは医療従事者として許されない行為です。 書きたい事沢山あります!
夜、夢に出ます。 泣き叫ぶ人、キズだらけの遺体、食べる気力をなくした高齢者、歩くのに杖が無くトイレにも立たない人・・・
メディアで流れてる様に全てが満たされてる避難所だけではありません。 もっと現実を知って下さい。
そして、継続しなければいけないんだと理解して下さい。
これは、まだ理学療法士になったばかりの若造の体験です。
でも、この体験は一番の震災でも対応を完全に出来たと自分で自信になりました。
学校でも臨床の場面でも感じられない大切な体験でした。
平成23年 6月3日