3月25日 |
長崎リハビリテーション病院 鮫島光博 【活動要旨】NPO法人日本せきずい基金主催の東日本大震災、「被災脊損者救援活動」へ、日本リハビリテーション医学会からの派遣医師として参加をした。 【期間】平成23年4月12日〜4月16日 【活動】 4月12日:長崎より東京へ移動。日本せきずい基金事務所にて同理事長・大濱氏に面会。先に行われていた活動で安否情報が得られていない患者様や介入中の患者様の情報、今後の支援センター設置計画等につき説明を受け、現地ドライバーへの活動資金受領を依頼される。 4月13日:新宿発のバスにて仙台へ。仙台駅前にて現地ドライバー・袖岡氏と合流。名取市の社会福祉協議会が立ち上げたボランティアセンターにてボランティアスタッフの登録、活動内容、物資の管理等について情報収集。その後は名取市閖上、下増田周辺の被災現場を巡回し、JDFみやぎ支援センターへ到着。事務局長・多田氏より同センターの活動内容、問題点の説明を受け、またJDF幹事会議長・藤井氏より被災地での障害者児の問題と今後の活動予定について説明を受ける。支援物資の確認後、仙台市泉区にて在宅呼吸器使用中の高位頚損者の自宅を訪問し、停電対策として非常用発電機を貸与。 石巻市、ボランティアキャンプにて宿泊。 4月14日:朝7時よりボランティアスタッフのミーティングに参加後、気仙沼保健所を訪問し保健婦の活動や地域の被害状況等について説明を受ける。大船渡市ベイサイドアリーナを訪問。医療サービスの提供状況を視察。その後、大船渡市の戸別訪問。事前情報にて確認した4名の住居を訪問。1名は連絡つかず、1名は担当ヘルパーより、東京の家族宅で生活中であることを確認、2名に面会。震災後の体調、生活環境の変化等について聞き取り。うち1名より尿とりパットが不足していると相談を受け、持参したパットを提供。釜石まで移動し、「鉄の博物館」駐車場にて車中泊。 4月15日:車中にて起床後、北海道毎日新聞記者より取材を受ける。大船渡市のヘルパー2名と合流し、上閉伊郡、下閉伊郡、宮古市の在宅患者を順次訪問。3名と在宅にて、1名と避難先の老人ホームにて面会し、生活状況などを聞き取り。宮古市の2名に関しては、訪問前に電話を入れたところ、多忙を理由に面会を拒否。前任Drより申し送りのあった、県営アパート2Fに避難中の患者様に関して、褥創の改善を確認。せきずい基金・大濱理事長より活動終了の指示があり、宮古市にて活動を終了。帰途、大船渡市保健所に立ち寄り、保健所の活動や県、市の今後の活動について説明を受けた。仙台市太白区まで移動し、ホテル泊。 4月16日:山形空港より東京、羽田へ戻る。 【活動を終えて】 今回、「NPO法人日本せきずい基金」からの依頼を受けて宮城県、岩手県の被災障害者の訪問をする機会をいただいた。道中、保健所や避難所を訪問しながら医療サービス、福祉サービスの復旧状態やニーズの把握に努めた。一人でも多くの患者様に面会し直接無事を確認すること、またせきずい基金代表・大濱氏を始め、多くの仲間が親身に心配し、応援している旨を伝えることを一番の任務と考え活動した。しかし、道路状況が予想以上に悪く、橋の崩壊や山道のがけ崩れ等のために大きく進路を迂回、変更することを余儀なくされた場面が多々あり、戸別の訪問件数が少なくなってしまった。被災地の医療サービスに関しては報道される通り日ごとに改善していることが確認でき、また被災された方々からも医薬品の不足の声は聞かれなかった。しかし大きな避難所での生活が不自由で、不安を抱えながら家族と在宅へ戻られる方や、普段通りのリハやケアを受けられないことから筋痙性の亢進や腰痛、不眠等、身体的負担が増加している患者様の声が多く聞かれた。更には、健康であった高齢者が避難所生活の中で歩行不能となっていく現実を目の当たりにし、震災直後から長期にわたり、被災された方々の生活を支援する視点での医療、福祉サービスの提供が不十分であることを感じた。 最後に、本活動への参加にあたり、日本せきずい基金・大濱理事長、日本リハビリテーション医学会・里宇理事長、和歌山県立医大リハビリテーション科・田島教授を始め、多くの方々の支援をいただいたことに、厚く御礼を申し上げます。 応急仮設村への提言(1) −普通の暮らし、安心、笑顔のある住まいの提言― 日本リハビリテーション工学協会理事長 同SIGすまいづくり代表 神戸芸術工科大学教授 相良二朗 兵庫県立総合リハビリテーションセンター 名誉顧問 澤村 誠志 (社)日本作業療法士協会 会長 中村 春基 東日本大震災に向けた応急仮設住宅は相当長期間にわたり、新たな地域社会として機能することが求められる。つまり、仮の家屋を建設するのではなく、仮住まいする町や村を創る姿勢が重要であり、画一化に陥らない工夫が必要である。 以下に、阪神淡路大震災での経験をもとに提言をまとめた。活用頂けたら幸いである。 なお、具体的な提案については、仮設住宅の図面、環境等を鑑み、引き続き提案を行う。 1.バリアフリーについて ①大規模災害の後に建設される応急仮設住宅は法が定めている2年間では終息し得ないことは阪神・淡路のときにあきらかになった。当初から4年もしくはそれ以上の生活に耐える仕様で建設するべきと考える。 ②仮設住宅は杭打ち基礎の上に床が載り、その上に設備が載る構造で建設されるため、浴室出入り口に30cm程度の段差が生じてしまう。 ③浴室、洗面、便器が一体となった最小規模のユニットバスルームが設置されることが多いが、使用頻度が高い便所の利用に30cmの段差通過は全てに人に大変な動作を強い、高齢者や下肢に障害のある人には越えられない段差となる。 ④阪神・淡路のときはボランティアによって踏み台が制作配布され、長岡のときは踏み台が完成時に標準的に設置された。 ⑤使用頻度の高い便所を独立させた構成とするか、ユニットバスが載る床の一部(基礎)を下げ、段差を10cm未満とすることが望ましい。 ⑥浴槽横や便器の横には手すりが標準的に設置されるようになったが、出入り口段差の部分にも縦手すりを標準的に設置することが望ましい。 ⑦ユニットバスのドア幅が狭いため、介助での通過や補助機器使用での通過が困難である。親子ドアなど広く使用できるドアが望ましい。 ⑧現在用いられている1216タイプのユニットバスルームでは基本的に狭く、高齢者等の使用には適していない。1418タイプが設置できるよう仮設住宅の最低基準を改めるべきである。 ⑨連棟で建設される仮設住宅は、敷地が傾斜している場合、敷地が下がるにつれて出入り口段差が大きくなる。阪神・淡路のときは70cmを超える住宅もあった。蹴上16cm、踏面30cm程度の緩い階段で、片側には手すりが設置できるような配慮が必要。 ⑩玄関出入り口部分には段差のないデッキがあると車いすでのアプローチを仮設スロープで対応することが容易になる。住民間のコミュニケーション促進にも効果的である。 ⑪玄関出入り口部分にも縦手すりが欲しい。屋外の段差昇降のためと、屋内での履物着脱時の立ち座りのために、それぞれ必要(もしくは設置準備として取り付け下地を施行)。 ⑫欧米からの輸入住宅は設備や窓の高さが高いので日本人高齢者の身長には適合しないことがある。 ⑬阪神・淡路で建設されたグループホーム型仮設住宅は独居高齢者等に対して有効に機能した。 ⑭車いす使用者が入居することがわかっている場合は、床段差が小さい住戸に入居できるよう、機械的でない住戸割り付けが必要。 2.暑さ対策と寒さ対策について ①直射日光による照り返しを防ぎ、風が通る工夫をする。 ②屋根にフックやヒートンをあらかじめ設けておき、簾や縦簾を掛けたり、朝顔やへちまなどつる性植物を育ててグリーンカーテンをつくったりできるようにする。 ③壁面へ蔦や山葡萄などを這わせることで、直射を和らげるととともに、棟ごとに表情を持たせ、3.−⑧と同様の効果を与える。 ④庇にて夏の高い位置からの日差しを遮り、冬の低い位置からの日差しを入れるようにする。 ⑤屋根の上や壁に打ち水を掛けて気化熱で温度を下げることを容易にできるように、各戸に屋外水栓を洗濯機用以外にも設置する(分岐水栓でも良い)。 ⑥小屋裏のない陸屋根形状の仮設住宅が一般的であるが、切妻造にすると輻射熱の室内への伝達を和らげ、小屋裏に収納スペースを確保できる。 ⑦ソーラーパネル付き排気扇(船舶キャビン用品)を屋根に設置し、小屋裏の熱気を排気する。冬場はシャッターを閉じる。 ⑧寒冷地からの輸入住宅は窓が小さく風通しが良くない設計のものがあるので発注時に注意が必要。 ⑨使用に伴い、隙間が生じやすいので、目張りやコーキング剤などによる補修方法を伝達する。 ⑩豪雪地帯も含まれるため、雪下ろし対策を考慮しなくてはならない。 ⑪太陽光温水装置や太陽光発電装置などの自然エネルギーの積極的利用を取り入れる。 3.コミュニティとしての機能について ①連棟が整然と並べられることが多いが、10軒程度がクラスターを構成しやすい配置計画が望ましい。 ②クラスター単位で集える広場や、共同利用スペース、共同キッチンなどが個別のもの以外にあるとよい。 ③個々の住戸⇒10軒程度のクラスター⇒応急仮設住宅村といった階層構造を誘導する。 ④住宅だけでなく、商店や理美容など被災前の職業を継続できるよう、希望者には居住空間だけでなく店舗スペースも合わせて提供することで応急仮設村の機能が充実(住民の利便性が向上)し、自立再建も早めることができる。 ⑤長い連棟であっても、住戸の間に④の店舗を挟むことで物理的にも意識的にもクラスター化が容易になる。 ⑥交通手段の確保と敷地の有効利用のためにカーシェアリングシステムなど、共同利用の仕組みを導入する。 ⑦独居高齢者も多数想定されるため、仮設村の一部にはグループホーム型仮設住宅を建設し、村の中の一部として存在させ、交流や互助を容易にする。 ⑧仮設住宅は同形同色の住戸がならび、殺風景な風景となるとともに、住民や来訪者には個々の住宅の位置が分かりにくい。アートやデザイン系の学生ボランティアの力を借りてワークショップを行い、住民と一緒に住宅の壁面を飾ったり、着彩したりすることで、アイデンティティを高め、「私の家」という気持ちを持ってもらうようにする。 ⑨復興に伴い、恒久住宅へ転居する人が増え、歯抜け状態になり、地域力の低下や治安の低下が生じる恐れが想定される。空家の積極的な利用が求められる。 「入所者を良く知った職員が従来通りのケアができた」。福島第一原発から約四十五キロの場所にある小名浜ときわ苑の鯨岡栄一郎施設長(39)が集団避難を振り返った。同苑に入所中の三浦宏寿さん(83)も「安心して過ごせた」と話す。 高齢者約百四十人が入所する同苑は、三月十一日の大震災で断水し、トイレも使えなくなった。外部委託の給食が止まり食事は一日二回に。医療面で緊急性の高い人の施設でないため、市の給水車も来なかった。入所者の健康状態は悪化した。 放射能への不安もあり避難先を探したが行政は原発に近い施設を優先。「避難指示区域でない苑は取り残された。家族と避難する職員もいて入所者をケアする環境ではなくなっていった」と鯨岡氏。 避難先探しに尽力したのが鴨川市の亀田総合病院だった。ときわ苑の系列病院の透析患者が亀田総合病院に避難したのがきっかけだ。被災から十日後、同苑の入所者のうち百十人と職員ら計約二百人が鴨川市内のかんぽの宿に移った。二十日間の避難生活を経て、インフラが復旧し、施設が利用可能になった同苑に戻った。 亀田総合病院は介護、医療両面で同苑を支援。同院の小松秀樹副院長(61)は「行政を通じていたらすぐには避難は決まらなかっただろう。避難側、受け入れ側の決断が大切」と話す。その上で、「苑と入所者のコミュニティーを維持できた。集団避難のモデルともなり得る」と意義づけた。 集団避難が成功したカギの一つは、小名浜ときわ苑が、避難後の入所者に対する介護サービスの報酬を、いわき市に請求することを市側に認めさせた点だ。「それなしでは今回の集団避難は成り立たなかった」と鯨岡氏は話す。 介護保険のサービスに対する負担はおおむね国が25%、県と市が各12・5%、残りが被保険者の保険料。保険料の設定など介護保険計画は自治体が要介護認定者の数やサービスの状況などを踏まえ三年に一度見直している。 鴨川市で介護サービスを受けているのは千六百人余り(一月現在)。介護サービスを受ける人が一挙に百十人も増えれば給付も増え千葉県や同市は介護保険計画の見直しを迫られるところだった。 鯨岡氏は「受け入れ側自治体がリスクを負うことなく避難ができた」と振り返る。亀田総合病院の小松氏は「市内でも介護人材は不足していた。報酬請求をいわき市が認めたことで苑の職員が鴨川市で介護事業をできた。それも避難成功の要因だった」と話した。 (東京新聞) 東日本大震災で約4万2000人が避難生活を続ける宮城県で、避難者の栄養不足が深刻になっている。長引く避難所暮らしで体の不調を訴える人も目立ち、県は400か所以上ある避難所に栄養士を派遣、実態を調査し改善を急いでいる。 約160人が生活する石巻市の蛇田小学校。食事はおにぎりやパンが1日2回、配られる程度で、野菜や肉などに含まれるビタミン類やたんぱく質は自分で工夫して摂取するしかない。 夫(76)と暮らす女性(73)は「青菜などをスーパーで買い、生で食べています」。それでも、風邪を引きやすくなり、栄養の偏りから口内炎ができた人もいる。 約600人が暮らす同市の渡波小も同じ状況で、国際協力機構(JICA)が昼食に野菜や肉の入った料理を提供。メンバーで栄養士の津田千恵子さん(36)は「牛乳や乳製品は今も手に入りにくい」と証言する。 市は自宅にとどまる人を含めた約3万6000人を対象に近く、栄養バランスに配慮した弁当を配給するとしているが、当面は2、3日に1度が精いっぱい、という。 気仙沼市の避難所でも事情は同じで、避難者には肌荒れも。日本栄養士会(東京)などが今月上旬、市内約70か所で食事を調べると、1日に肉や魚が1食以下だった避難所が約4割、野菜も約3割に上った。 気仙沼市で調査した国立健康・栄養研究所(東京)の笠岡宜代・食事摂取基準研究室長は「たんぱく質やビタミンが不足すると免疫機能が低下してしまう。体の弱い高齢者や乳幼児、妊産婦には特に栄養面の配慮をお願いしたい」と話している。 (記事提供:読売新聞) 各団体が個別に活動するのではなく、協議会に情報を集約し、被災地の医療ニーズを正確に把握する狙いがある。政府の被災者生活支援特別対策本部や厚生労働省、介護関係団体などとも連携し、避難所での感染症予防や慢性疾患対策のほか、中長期的な医療チームの派遣確保などに取り組む。 |